東日本大震災の被災者のために、多くの人が支援を表明しています。
孫正義氏の100億円+引退までの報酬全額は別格としても、実業家やスポーツ選手、芸能人などが多額の金額を寄付しており、下記に挙げられているのはその極一部に過ぎません。
・ファーストリテイリングの柳井会長、個人で義援金10億円
・フォーデイズが3億円を寄付
・石川遼、賞金を全額寄付「目標は2億円」
・AKB義援金に1億円 グループで6億円超振り込み
・宇多田ヒカル、被災地へ8000万円
・安室奈美恵、個人で5000万円寄付
・ペ・ヨンジュンさんから義援金7300万円
(msn産経ニュースより)
もちろん金額がすべてではなく、人それぞれ支援の仕方があるわけです。
真っ先に現地へ駆けつけた医療関係の人たちの献身には頭の下がる想いですし、屋台を引っ張っていったラーメン屋さんにカレー屋さん、トイレや風呂を持ち込んだ各メーカー。
元気になってもらおうと、被災地でのコンサートを開催するミュージシャンも多く、寄席やマジックショーなどもありました。
これまで続けてきた自分の仕事で何か役に立つことができるなら、それが一番良いと思うのですが、ステンドグラスで何ができるでしょうか?
色々考えてはみたものの、特に良いアイデアもなく、上記の方々とは比べものにならないほど僅かの寄付で済ませていました。
そこへ突然先月中頃に、わたせせいぞうさんの事務所から連絡がありまして、東日本大震災支援展を開催するから協力して欲しいとのこと、一も二もなく即座に引き受けました。
仙台の老舗デパート「藤崎本店」からの要請で、東北の被災者と被災しなかった人も含めて、とにかく地元を元気付けたい、そのために何かできないだろうか?何かをやってほしい、という切実な願いだったようです。

わたせさんの展覧会では、これまで2度仕事をさせていただいてます。
blog「1983」
そのときのコラボレーション作品5点の他、僕のオリジナル作品をいくつか、元気が出そうなものを選んで展示します。
「ステンドグラスに何ができるだろう?」という気持ちに変わりはありませんが、この機会に藤崎さんから、そしてわたせさんから声を掛けていただいたのも貴重な縁です。
会期中はずっと会場にいて、僕から来場者に声を掛けたいと思っています。
「わたせせいぞう展」
~ハートを贈ろう、ニッポン!!~
仙台市藤崎本館7階にて、
7月1日(金)~6日(水)まで。
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理事長からの提案の中に、羽ばたく鳥を3羽入れて欲しいという具体的な要望がありました。
最初に僕が提出した原画には鳥の羽が一枚一枚描かれており、翼を具象的に表現するつもりでしたが、途中で考えを改めました。
鳥は、ただの鳥ではありません。
巣立ち成長する子供達を象徴しています。

表現しなければならないのは具象的な鳥の形そのものではなく、生命力や元気、夢や自由な心です。
ダイクロガラスの発色の激しさや、見る角度によって色が変わって見えるという特性が、成長期の強い生命力を表現するのに適していると思いました。

鳥の中に抽象的な模様をエッチングで描きました。
見慣れないもの、意外なものに大人は「なぜ?」という疑問を抱きますが、子供にとってはすべてが新しいものです。
ただそのまま感じ受け止めて欲しいと思います。
細かい線など、グリザイユによる絵付けを施しています。
この作品の場面は日中ですが、上部に星を描きました。
空が青く晴れ渡っていても、厚い雲に覆われていても、その向こうにはとてつもなく深い宇宙が広がって星々が輝いているということを表しています。

作品タイトルは、いわき市のお寺の作品と同じものにしましたが、但し後に今年の年号を付けて「生命賛歌2011」としました。
一度に多くの命が失われた年、さらにそれ以上の命が長きにわたって奪われ続けることが決定付けられた年でもあります。
その2011年を心に刻み、タイトルとして文字にも刻んでおくことにしました。
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3月11日の大震災のとき手がけていた仕事は、2週間ほど遅れはしたものの、4月中頃に無事取付けを終えました。
関連する記事は →「言葉もなく」

取付け場所は、(学校法人)北海道浅井学園が江別市に新築した「大麻幼稚園」と「まんまる保育園」の合同園舎エントランスホールです。
デザインの作成にあたって、浅井学園理事長から提案書をいただきました。
要点を箇条書きにしますと下記の通り。
1.開園40周年の足跡を刻みたい
2.これまで巣立っていった卒園児や関係者の想い、「飛びたつ」、「成長する」姿を表す
3.可愛らしくもあり、凛と存在感のあるシンボリックな象徴
「鳥」、「咲き乱れる花々」、「宇宙」、「星」
注釈として : シンプルに。
花園の中から飛び立つ3羽の鳥、各々の巣立ち
キリスト教、宗教画はNG
後日、園長先生から、江別市の木であるナナカマドをデザインに取り入れて欲しいとの要望あり。

この仕事の要点のひとつは、建物の正面、外側から見たときにも象徴的な役割を果たさなければならないという点です。
そのため3羽の鳥にダイクロガラスを使用しました。
強く反射して外からも目立っています。
同様の理由で花や葉にオパルーセントガラスを使用していますが、ダイクロガラスほどは目立ちません。
内部からの眺め。
手前に梁があるため、全体を見るにはかなり見上げる位置からになります。
しかし朝日が射し込むと、建物の奥深くまで美しく彩られます。

花園は、半抽象的でシンプルな表現にしました。
花壇に密集して咲きほこる花よりも、野原のそこかしこに咲き散る花をイメージしています。
その方が主題の鳥が引き立つと思うのです。
花の中心には、カットガラスを使用しました。プリズム効果で床に虹色の光を散らします。

あとで追加したナナカマドです。
赤い実にジュエルを使い、立体感を出しました。
ー続くー
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再び神楽坂に戻ると、文房具店の「相馬屋」があります。
原稿用紙は相馬屋でなければという文士は大勢いたようですが、石川啄木もその一人でした。
啄木は、1912年1月30日、なけなしの金を持って「夕飯が済んでから、私は非常な冒険を犯すような心で、神楽坂の相馬屋まで原稿紙を買ひに出かけた」と日記に書いています。
それから43日後、26歳の若さで亡くなりました。
大久保通りより上にまだ神楽坂は続きますが、ここで左へ曲がります。

100mほど歩くと右側に「モスバーガークラシック」の店が見えます。
普通のモスバーガーではないので、お馴染みの看板はなく、全く目立ちません。
この店名のモスバーガーは、全国で1店、ここだけだそうです。

そこの左隣にある小さな坂を上ります。
右側にかわいらしい神社がありますから、御挨拶を忘れずに。

坂を上りきった突き当たり正面はお寺、左手は墓地ですが、右手奥の1,2階が「ようこそわが家へ」、僕の展覧会場です。

昨年の展覧会の折、ここにたどり着くまで随分迷ったという人が続出、今年は地図を描き直しました。
しかしそれでもなお迷う人がいて、「ほんとに隠れ家だなここは」だって。
その通り、ここは「神楽坂の隠れ家」です。
小さな丘の上にあるため見晴らしがよく、気持ちの良い風が通り抜けていきます。
近隣の喧騒も届かず、ぶらりと立ち寄ってコーヒー一杯、静かなのんびりとした時間を過ごすことができます。
神楽坂を紹介するために飯田橋駅からの道のりを辿りましたが、一番近い駅は大江戸線牛込神楽坂駅で、A2の出口から歩いて2分くらいです。
僕の展覧会は好評(?)のため会期延長となりました。
6月24日(金)までです。
但し、途中貸切で入場できない日もありますので確認の上、お越しください。
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昨年の1月、20年来パリに住んでいた松谷芙美さんから突然の電話がありました。
「パリを引き払ってきちゃった。今、カグラザカに住んでるのよ」
帰国するかもという話は前から聞いていたので、さほど驚きはしませんでしたが、ちょっと引っかかったのがその住所。
「カグラザカ?」
僕の中学高校予備校時代は、ろくに学校にも行かず、古典から雑誌連載のエッセーまで読み漁り、文学青年を気取っていた時期でした。
時代に関わらず日本文学に度々登場するのが「神楽坂」という地名。
欠かさず読んでいた映画情報誌でも時折目にした記憶があります。
芙美さんからの電話で聞いた「カグラザカ」が、活字の「神楽坂」であることに気がつくまで十数秒はかかったでしょうか。
「神楽坂の文房具屋」、「神楽坂の旅館」、「神楽坂で打ち合わせ」、「神楽坂に缶詰め」等々、僕の頭の中には神楽坂にまつわる文章の断片的記憶が積み重なって、そこには何かがあるらしいという漠然としたイメージを勝手に膨らませていました。

しかし、飯田橋駅や近くの東京日仏学院までは何度も行っていながら、そのすぐ目と鼻の先に神楽坂があることを知りませんでした。
外堀通りに面した上り口。

坂をしばらく上って毘沙門天の正面の小路、というより隙間を右に入ると「和可菜」という旅館があります。

この旅館については「神楽坂ホン書き旅館」(黒川鐘信著)に詳しく書かれており、元文学青年としては登場人物の名前を見ているだけで嬉しくなってしまう一冊です。
文中最後の方に、ステンドグラスに関する記述があり、柴田長俊氏の逸話が紹介されています。
そこから左手に進み階段を降りたところにある小さな広場は「寺内公園」。
夏目漱石の「硝子戸の中」で、子供の頃の思い出話に登場します。

と、そこに猫が現れました。
「ニャー」と鳴いたのは、「私猫よ」と言ったのかも。
ー続くー
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最終日の午前中は、横浜市立大学へ。
しかし、ここでちょっとしたハプニングが・・・。
ステンドグラスの前は、柔らかな光に包まれる憩いの空間であった筈なのに、今ではご覧の通り、左右にロッカーが陣取り、真ん中に大きな鉢植えが鎮座していました。
右側の人影は、唖然とする平山氏。
僕も似たような経験があり、気持ちはよくわかります。
ステンドグラスの前に家具があろうと、植物に遮られようと、そんなことは構わないのです。
毎日そこで暮らす人たちが、そのステンドグラスがあることによって少しでも豊かな気持ちで生活できているかどうか、ということが大事なんだと思います。
ここの様子からは、ステンドグラスを大切にしようという愛情が感じられません。

かつて「愛の反対は憎しみではなく無関心である」とマザー・テレサが言いました。
慈しみ労苦をいとわず育て上げた娘を嫁がせたのに、嫁ぎ先のひどい扱い(無関心)を見せられるのは辛いものです。
せめて重荷をひとつ除いてやろうということで、鉢植えをどけて撮影しました。

気をとり直し、平山氏の工房を見せていただくことになりました。
僕は何度かお邪魔していますが、羨ましいのはこの設備。
自然光を鏡で反射し、テーブルに並べたガラスを透過して見られるようになっています。パリの工芸学校にあったものと同じです。
窓の高さなど置く場所の条件が整わないと設置できないので、僕は仕方なくライトテーブルで代用していますが、でもやはり、季節や天候や時間で刻々と変化する自然光を使って仕事するのが理想です。
午後は旅行最後の見学場所、日本橋三越です。

震災後、ホール天井のステンドグラスが節電のため消灯されていると聞いていたので、僕たちの訪問時の数分間だけ点灯していただけるよう予めお願いしましたところ、快く了承していただけました。

また、三越からのお誘いで6階の三越劇場も見せていただきました。
ここの天井照明として数面のステンドグラスが設置されていることを初めて知りました。
その後古いエレベーターで屋上に上がり、今回の旅行唯一の観光をしました。
はるか彼方に、完成に近づく東京スカイツリーが見えます。
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3日目は、平山健雄氏に横浜市内を案内していただきました。
平山氏は、パリの工芸学校で1年先輩(年齢はもっと上)でしたが、ステンドグラスに関してはもちろん、プライベートなことでもお世話になっています。例えば食べ物に全く無関心だった僕が、人並み以上の興味を持つようになったのは平山氏の影響です。その僕の影響を受けて長女が調理学校へ進み、先月から東京のレストランで働くようになりました。

JR戸塚駅で待ち合わせ。
「西横浜国際病院」へ。
この仕事は、パリ国立高等工芸美術学校ステンドグラス科で勉強した仲間で結成したグループ「12人のステンドグラス作家たち」で受けた仕事ですが、デザインは平山氏が担当しました。
僕は制作にも関わらなかったもので、今回初めて実物と対面しました。

病院からバスを出していただいて、「子供の虹情報研修センター」へ。
鮮烈なイメージと、それを具現する新しい技術の追求、惜しまぬ手数。
平山さんの真骨頂とも言える作品です。

すぐ隣にある「特別養護老人ホームしらゆり園」の玄関です。
原画は竹中恵美子氏で、平山氏が制作しました。
画家の絵をステンドグラスにするのはなかなか大変なことです。

昼食後、ホテルに荷物を預けてから「横浜開港記念館」へ。
一昨年、2階広間のステンドグラス3枚を平山氏が修復しました。
修復作業の内容は、横浜市が発行した記念誌「甦る光」に詳しく記されています。
ステンドグラスを生業としている人には必見の資料です。

最後は「氷川丸」。
特別室2部屋にステンドグラスがあります。
小川三知風ですが、雨笠鉄五郎作と言われています。
30年ぶりの再会でした。

中華街で夕食の後、港を散歩。
2年前に開園した「象の鼻パーク」は、うねうねとくねった床がすべて木板張りで、ちょっとびっくりさせられました。
ー続くー
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朝一番で大宮駅へ。
駅舎正面には、ルードヴィッヒ・シャフラットの大作「光と水と生命」が設置されています。
しかし現在は工事中で、全貌を目にすることはできませんでした。

シャフラット氏がこの作品の設置のため来日した折、お会いして話をする機会を得ました。
1981年、僕が27才のときのことで、少々失礼かと思われる質問にも決してそらすことなく正面から答えてくれる姿勢に感銘を受けたことを覚えています。
そのときの対談記事が「炎芸術」(阿部出版)第2号に掲載されています。
シャフラット氏は、今年2月に87才で亡くなりました。
何となくしんみりとした気分のまま、隣の駅の鉄道博物館へ。
山本容子さんの作品があります。
新宿3丁目駅の作品と同様、デザインを練り上げ、しっかりと手をかけた作品です。
以前に「仕事の内」で紹介しました。
ここのジオラマはなかなかの見もの。
解説と共に繰り広げられる鉄道ドラマは感動的です。

駅弁昼食の後、上野の国立科学博物館へ。
小川三知の工房が制作したステンドグラスがあります。
次はJR飯田橋駅。
隣接するセントラルプラザビルのステンドグラスに関しては「境目に立つ」をご覧下さい。
飯田橋駅から僕の展覧会場までは、神楽坂の急な坂道を登っていくわけですが、そのあたりのことは後日あらためて書くことにします。

で、いきなり展覧会場です。
同じギャラリーで昨年に続き2回目ですが、向かいの部屋へ引っ越しましたので、この場所では初めてということになります。
1階と2階を合わせてかなりの広さになりました。
午後からは(12時オープンですが)西日が差し込んで、ステンドグラスの効果が満開になります。

ギャラリー担当の松谷芙美さんが入れるコーヒーが妙に美味しいと評判です。
芙美さんがフランスで集めた美しい器の数々の中から好きなものを選ぶことができます。
750円でお菓子付き、おかわり自由、時間無制限は格安です。
夕食は1階で、お姉さんの松谷淳美さんが腕を振るったコースディナーを御馳走になりました。

その後2階に移動してデザートをいただきながらジャズライブ。
昨年と同じく斉藤花ちゃんと間宮工さんの楽しいコンサートです。
夕方になって光が弱くなると、金箔やダイクロガラスを多用した今回の作品は様相が変わり始め、すっかり外が暗くなるころには金色の世界になります。
変わり始めたステンドグラスをバックに歌う花ちゃん、いいねえ~。
(PHOTO 吉本健太郎)
ちなみに花ちゃんは今、”味の素のコンソメ”のCMソングを歌っています。
http://www.ajinomoto.co.jp/consomme/cm/cm-recipe.html
ー続くー
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ボザール・デザインビューローは
モンゴルにマツの植樹を行うことで
地球温暖化防止に貢献しています