到着したのは半円形の小ホール。
サンルームとして使用した場所らしく、中央に噴水があり、ふんだんに射し込む光が特別な空間を感じさせます。
少々薄暗い部屋を通り抜けてきた一同は、ここで一気に解放されたような気分になりました。
窓の上部にぐるりと回されたステンドグラスは格別にシンプルなデザインですが、光をできるだけ遮らないように配慮されたものでしょう。
中央部のアクセントに使用されている赤い小ガラスは、かなりの厚みがあって角錐形に面取りされており、他で見たことがありません。

隣接する廊下の間仕切りに使われている縦長のステンドグラスも同様のデザインで同じガラスが使われています。
但し、こちらは上下に少しアールヌーヴォーの様式を取り入れて、装飾性を強くしたようです。
角教授の言う「立派なステンドグラス」とはこれのことなのか?
と思っていたら、すかさず「一階の風呂場にもあるよ」とのお声がかかり、一同どっと風呂場へと流れます。
風呂場のドアを開けると、「ハァー!」とため息にも似た静かな歓声が再び響き、僕は真っ先に中へ。
タイル張りの床に溜まっていた水が靴下を濡らしました。
これが風呂場のステンドグラス。
小川三知の作品と言われてるらしい。
使われているガラスはごく普通のカセドラルガラス。
技術的に難しいと思われるところは特にないし、珍しい技法を用いているわけでもありません。
にもかかわらず、この作品には人を惹きつける不思議な力が充満しています。
三知がこのステンドグラスを作った90年前、ステンドグラスなど見たこともなく、言葉さえ初めて聞くという人たちに、それが何であるかを説明するのは難しかったと思います。
材料の調達にも苦労したことでしょう。
ガラスを輸入し、鉛桟を作るだけでも大変ですが、半田やパテやフラックスなど細かい消耗品を揃えるのも面倒だったでしょうし、道具を一通り用意するにも苦労があったと思います。
加えて、制作は常に試行錯誤の連続で、教わる相手もなく、情報もなく、自分で解決するしかなかったでしょうし、現場への運送や取り付けだって現在ほど楽ではなかったに違いありません。
30年前に僕が始めた時でさえほぼ同様の苦労はありましたが、三知が経験したこととは比べものにならないはずです。
それほどの困難がありながらも、ステンドグラスを作り続ける理由が三知にはありました。
それが何かは知る由もありませんが、その熱き思いが作品を通して伝わってきます。
ー後編ーに続く
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先週の土曜日、「小樽歴史建築ツアー」に参加してきました。
と言っても車1台、講師も含めてわずか9名の少人数ツアーでした。
元々は、「北海道にある古いステンドグラスを見に行こう」という仲間内の話から始まったことですが、僕自身見たことはなく、どこに何があるのか知識も情報もなく、「そんなの北海道にはないんじゃないの」などど適当なことを言い、「歴史建築ツアーでいいよ」「もしどこかにステンドがあったら少しは説明できるけどお~」とさらにいい加減なことを言い続け、それにもかかわらず話は巡り拡大して、僕以外の方々の尽力により、内容充実、立派なツアーになりました。
朝10時に札幌駅横を出発し、最初に着いたのは「和光荘」。
北の誉酒造の経営者野口家の自邸として1922年(大正11年)に建てられたものです。
通常は非公開の建物ですが、講師として来てくれた北海道大学教授角幸博氏の計らいにより内部を見ることができました。
建物へのアプローチになっている橋を渡りながら、「ここにはステンドグラスはあるんでしょうか?」と角教授にうかがってみると、「あるよ。なかなか立派だよ」と軽快なお返事。
「え!あるんだ」と何も知らない僕は、単純に驚きつつ期待に胸膨らませ建物の前へ。

”瀟洒な外観”というだけでは表現しきれない奇妙な、しかしどこかで慣れ親しんできたものを再発見したような気持ちになりました。
そうだ!と思いついたのは西洋の大聖堂。
ロマネスクからゴシック、ルネサンスと各時代の様式を取り入れながら数百年に渡って作り続けた建築の様子と、どこか共通したものがあります。
玄関に出迎え、スリッパまで揃えてくれたのは、北の誉酒造の現会長であり野口家4代目当主の野口禮二氏でした。
野口氏は小学校1年生までここで暮らしたそうです。
恐縮しながら前方へ進むと、そこにはもうステンドグラスが!

玄関ホールと廊下の間仕切りに使われています。
第一印象は典型的な大正期の日本製ステンドグラスという感じでしたが、よくよく眺めてみると何かが違う、何だろう?何かなあ~?と疑問を残しつつ先へ。
各部屋の説明を角教授と野口氏の両方からうかがいながら広大な邸宅の内部を巡り、一同が「オォー!」と驚く場所に到着しました。
ー中篇ーに続く
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僕の愛弟子(と言ってよいかどうかわかりませんけれど)が、本日京都で新婦として結婚式を挙げました。
式中、新郎新婦から双方の両親への贈り物として僕のステンドグラスを使っていただきました。
このステンドグラスの制作中、ずっと聞き続けていたのは、さだまさしさんの「人生の贈り物」。
作曲はさださんですが、作詞は韓国の楊姫銀(ヤンヒウン)、二人で切々と歌い上げています。
http://www.youtube.com/watch?v=goeJPN-7Pqw&feature=related
人生の贈り物 ~他に望むものはない~
季節の花が これほど美しいことに
歳を取るまで 少しも気づかなかった
美しく老いてゆくことが どれほどに
難しいかということさえ 気づかなかった
もしももう一度だけ若さを くれると言われても
おそらく私は そっと断るだろう
若き日のときめきや 迷いをもう一度
繰り返すなんて それはもう望むものではない
それが 人生の秘密
それが 人生の贈り物
季節の花や人の 生命の短さに
歳を取るまで 少しも気づかなかった
人は憎み諍(いさか)い そして傷つけて
いつか許し 愛し合う日が来るだろう
そして言葉も要らない友に なってゆくのだろう
迷った分だけ 深く慈しみ
並んで座って 沈む夕日を一緒に眺めてくれる
友がいれば 他に望むものはない
それが 人生の秘密
それが 人生の贈り物
季節の花が これほど美しいことに
歳を取るまで 少しも気づかなかった
私の人生の花が 散ってしまう頃
やっと花は 私の心に咲いた
並んで座って 沈む夕日を一緒に眺めてくれる
友がいれば 他になにも望むものはない
他になにも 望むものはない
他になにも 望むものはない
それが 人生の秘密
それが 人生の贈り物
作品は、「デイジー」(赤)を新婦の母上に、
「タンポポ」(青)を新婦の父上に、
「抽象と半具象」(赤と青と紫)を新郎のご両親に、
僕の思いを込めてデザインしました。
そして、「星屑倶楽部」の15番目の作品は、新しい人生にスタートを切った若き二人に僕からのプレゼントです。
共に歩み共に老いることになったふたつの人生を、「抽象」(赤と青と紫)でデザインしました。
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今日、北海道札幌平岡高校へステンドグラスコンテストの審査に行ってきました。
年に一度の学校祭で開催される伝統行事ということで、縁あって数年前から審査に参加しています。
審査員なんて柄じゃないんですが、面白そうだなと思って引き受けました。
コンテストのステンドグラスは、当然ガラス製の本物ではないけれど、光を透して見るという原則において本物と違いはなく、本物よりはるかに自由があります。
昔ながらの色セロファンにとどまらず、和紙に千代紙、ナイロン網やシールにネガフィルムなど、ありとあらゆるものを使用し、さらに絵の具で着色したりなんかして、多種多様、期待通りの面白さです。
”学校で作るステンドグラス”と聞いて、多くの人が想像するのとは次元が違う作品がたくさん並んでいました。
1クラス1作、各学年8クラスの合計24作品が出品されていました。
やはり3年生の作品は圧倒的に優れていて、これはその一部です。
審査会の折、先生方とも話したことですが、芸術教育というのは道徳教育であり社会教育でもあります。
近年とんでもない事件を起こす子供達が増えているのは、この芸術教育をおざなりにしてきた結果ではないかと僕は本気で思っています。
事件を起こした子供達がどのような芸術教育を受けてきたか、是非調べてもらいたいものです。
「芸術」なんて大袈裟に考えちゃいけません。
自分を表現することすべてが「芸術」です。
絵でも音楽でも、言葉でも体の動きでも、自分の中の何かを表現し人に伝えようとすることが「芸術」です。
高校生達の作った作品は、もちろん優劣はあるものの、どの作品も相当な時間を費やしたと思われるものばかりでした。
彼らは実際どのように作業を進めたでしょうか?
誰かがアイデアを出し(誰が?複数の時はどうする?)、
作り方を考え(こうしよう、いやそれよりこうした方が)、
材料を手に入れ(手分けして)、
作業開始(それぞれが得意な作業を、でも最初は誰が何を得意かなんてわからないんだよね)、
思うように進まず(遅いぞ!さぼるな!ちゃんとやれよ!なんてちょっと険悪な雰囲気)、
先生の助言、激励、叱咤(素直に聞くか、うぜ~っと思うか)、
ぎりぎりまで頑張る(もうあきらめようぜ、いやまだまだ!)、
完成!(ヤッタあ~、でももう少し時間があったら・・・)
いや、もっと複雑な心理的葛藤があったことでしょう。
こういう経験を1度でもしたなら、自分を主張すること、他人を支えること、思いやること、争い方や仲直りの仕方、苦しみと喜びの相関関係、作業と作品の因果関係を学び、家庭ですぐに、または後に社会へ出たとき役立てることができます。
そして最後に、努力は必ず報われることと、努力が時に報われない場合があることを学び、できることなら、くじけないことと希望をもつことの大切さも学んで欲しいと思います。
こんな経験をした人間が平気で他人を傷つけたりするわけがないと思うのですがどうでしょう?
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「7月4日に生まれて」というタイトルの映画をご覧になった方は多いでしょうね。
ロン・コーヴィックという1946年7月4日生まれの実在の人物による自伝を元に制作、1989年に公開した映画です。
内容は詳述しませんが、オリバー・ストーン監督の映画の中で、またベトナム戦争を扱った映画の中で、さらに主演のトム・クルーズ出演の映画の中でも、最高の出来だと思います。
まだ見てないという方は、是非ご覧ください。
さて僕は、コーヴィックより7年後の同じ日,札幌に生まれました。
しかし、7月4日がアメリカ合衆国の独立記念日だということを知ったのは、高校の世界史の参考書の中でした。
僕が好きだった欄外の「豆知識」のところに、自由の女神像の写真と共に記述されていたように記憶しています。
ニューヨークの「自由の女神」像を知らない人はまずいないでしょうけれど、その作者の名を言える人は多くないと思います。
作者は、フランスの彫刻家フレデリク・オーギュスト・バルトルディです。(な~んて偉そうに書きましたが、実は僕も名前を思い出せなくて調べました)
鉄と銅で作られたこの巨大な像は、1886年にアメリカの独立100年を祝して、フランスが寄贈しました。
その3年後1889年には、フランス革命後100年を記念し、パリに住むアメリカ人達が、少し小さくした女神像レプリカをフランスに寄贈し、セーヌ川に架かるグルネル橋のたもとに設置しました。
女神が左腕に持つ銘板には、革命のきっかけになったバスティーユ牢獄襲撃の日”1789年7月14日”の日付が刻まれています。
像はバルトルディ本人が制作し、除幕も彼自身が行いました。
そして2010年には、函館に自由の女神像が出現しました。
先月僕が函館に行ったときすでに設置されており、その違和感に「本気か?!」と思いましたが、本気だったようです。
現地では論議を惹き起こし、役所で取り上げ、新聞記事やTVニュースにもなっています。
サイトでも多くの人が意見を述べていますが、そのほとんどが景観上の問題について論じています。
そのひとつ、ギャラリー村岡の店主村岡武司氏のサイトをご紹介します。
この件に関して的確な意見を述べられています。
(写真も村岡氏撮影)
http://blog.gmuraoka.com/2010/06/post-120.html
もちろん誰もが目にする景観というのが最も実際的で影響も大きく重要な問題であることは確かなのですが、ものつくりの立場から言わせてもらうなら”作者を尊重して欲しい”と思うのです。この世界遺産にもなった著名な像の低級なレプリカを作るという行為自体も問題にしてしかるべきではないでしょうか。
アメリカ独立戦争も、フランス革命も、多くの人が血を流し、苦闘の末に自由を手にした人類史の重要なできごとです。
像の制作依頼を受けたバルトルディがこのことを考えずに作るはずはなく、「世界を照らす自由~Liberty Enlightening the World ~」(自由の女神像の正式名称)の言葉と像の形状には、深く真摯な意味が込められていると思います。
著作権の問題がないとしても、軽々しく利用するべきものではありません。
像の設置を発案した社長が、7月4日と14日の意味を承知していてあえてこの時期を選んだというなら、そこのところはちょっと認めようかという気持ちにもなりますが、多分違うでしょうねえ~残念!
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ボザール・デザインビューローは
モンゴルにマツの植樹を行うことで
地球温暖化防止に貢献しています