最近十数年ぶりの不眠状態に陥っています。
結婚したのがちょうど20年前、それから2年後に長女が生まれて、その後さらに1年ほど不眠に苦しんだ記憶がありますから、17年ぶりということになるでしょうか。
最初に眠れない苦しみを味わったのは、小学校の低学年の時。そのころは家族4人一部屋で寝ていましたが、皆が寝静まった後、柱時計のコチコチという音を聞きながら天井板の節目を数えて朝を待ちました。
その後は小学校の6年生になって不眠が始まっています。アルコールが眠気を誘うと聞いて、夜中にこっそり台所へ行って、料理用のワイン(甘ったるい赤玉ポートワインでした)をちびちび飲んで、減った分は水を足してごまかしたりしましたが、長いこと続けたもので、ついに十二指腸潰瘍を引き起こして通院することとなりました。
中学1年生になってもまだ不眠状態が続き、精神的に限界に近づいていたように思いますが、このときぱっと目の前が明るくなるような転機が訪れました。それは精神科医なだいなだ氏の書いた本を読んだときでした。確か「不眠のすすめ」というタイトルだったと記憶しているのですが、現在そのタイトルで検索しても氏の著作としてはみつからないようです。記憶違いかもしれません。
なだ氏が言うには、「不眠症という病気は存在しない。眠れないということを苦にして悩むことから病気が始まる。起きている時間が人より長いのはむしろ利点だと考えて、その時間を有効に活用したらよい。本を読むことをお勧めする。毎日眠くなるまで本を読み続けたら、それはいつかあなたの貴重な財産になる」というような内容でした。
この言葉に励まされた僕はすっかり有頂天になって、氏の言葉通り、その日から毎日朝方まで本を読み続けました。その状態が中学から高校までの6年間続きましたから、読んだ本の数はかなりのもので、確かにそれはいろいろな局面で役に立ってきたと思います。
しかし少々困った副産物もいくつかありました。
ひとつは、あっという間に近眼になったこと。裸電球の下、寝床に入ったまま本に鼻がつかんばかりにして読むのですから無理もありません。
もうひとつは、学校の遅刻や欠席が著しく増えたこと。朝方に眠りにつくくらいなら良かったのですが、昼過ぎまで本を読み続けることもあり、親が僕に不干渉だったもので、留年の危機に何度も直面しました。
それから変わった読書習慣が身についてしまいました。同じ本、または似たような傾向の本を続けて何時間も読むと飽きるので、途中で気分転換に別の本を読んだりしているうちに、数冊から十数冊を平行して読むようになりました。そのせいで本の内容を混同して記憶しており、僕の頭の中では文芸作品と推理小説と科学読物が合体してひとつの作品になっていたりします。
適正な睡眠時間というのは人によって違うそうです。僕の場合は4時間半がベストだということを自覚しています。4時間だと睡眠不足、5時間だと過睡眠で頭痛がします。毎日この4時間半の眠りを確保できれば万全の体調でいられるのですが、これが何かの事情で連続して妨げられると、精神的、肉体的に変調をきたし始めます。
20年前に結婚した時は、他人との共同生活が始まって、どうしても自分のペースが守れず、さらに子供が誕生し、僕の睡眠周期はめちゃくちゃでした。寝不足と過睡眠を繰り返し、頭痛薬を飲み続けなければ、仕事はもちろん日常生活も維持できない状況でした。
そのころにデザインした作品です。タイトルは「眠りの構築」。(部分。全体は6メートルの長さがあります。制作は1996年となっていますが、デザインはその数年前にできていました。展覧会出展作品を参照)
張り詰めた心の上に、大小の眠りの因子がゆっくりと音もなく降り積もり、やがてあたりを埋め尽くして色も形もない世界を構築したとき、自分が眠りにつけるだろうという祈りのような心境をイメージしています。
その後僕が自分のペースを守れるようになったのは、引っ越したときに自宅と工房を別にしたからでした。それ以来十数年間調子良く過ごしてきたのですが、今年になって何故か眠れない日々が続いています。
かつてなだいなだ氏から教わったように、眠れなかったら起きてりゃいいのさと居直りたいところですが、中学生の僕と今の僕とでは、社会的責任と体力が違い過ぎます。
昨日は風邪で38度の熱が出たため夜9時に床に就きました。ぼんやりと目が覚めて時計を見たら夜中の1時、それ以上眠れないことは分かっていたので工房にやってきて、しばらく本を読んだ後この文章を書き始めました。
7時に自宅へ帰って家族と朝食、三女をバス停に送っていって再び工房に戻り、ハルの散歩をし食事をさせて、ちょっと掃除をしてから、今またパソコンの前にすわっています。
今日は教室の日、もう少しで生徒たちがやってきます。ふらふらの体とぼけぼけの頭でちゃんとできるんだろうかと、一抹の不安がよぎります。
熱いコーヒーでも入れるかあ~!、気合だあ~!!!
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9月20日昼頃、パリ、オルリー空港着。
ホテルへ直行しチェックインの後 、遊覧船バトームーシュでセーヌ川クルーズへ。
パリの中心を流れるセーヌ川を往復すると、大まかなパリの様子が分かります。また、遊覧船のイスに座ったままの一時間は、旅の疲れを癒すためにもちょうど良いので、いつもこのタイミングで利用しています。
その後オルセー美術館を見学してこの日は終了。
翌21日は、パリ郊外の小さな村ジヴェルニーへ行き、モネの庭を訪ねる。
昼食にシードル(リンゴ酒)を飲んでゆったりし過ぎて、帰りのバスに乗り遅れました。
22日もパリを離れシャルトルへ。 ステンドグラスで有名な大聖堂を見学。
大聖堂の横には、世界的にも名前の知られているステンドグラスの工房アトリエ・ロワールが経営するギャラリーがあります。日本のあちらこちらにロワール工房の作品がありますが、箱根彫刻の森美術館の「幸せを呼ぶシンホフォニー」(1975年ガブリエル・ロワール作)というダル・ド・ヴェール(厚板ガラス)の塔が有名です。
通常月曜日は休みですが、ジャック・ロワール夫人のミシュリーヌさんとその娘さんのナタリーさんが店を開けて待っていてくれました。ギャラリーには20数年前から作品を委託しています。今回は4点の作品を預かってもらいました。毎回新しい作品を見せる度に「なんて素晴らしい作品でしょう」と大袈裟に褒めてくれるのは、半分社交辞令だと分かっていても嬉しいもので、ついつい頬が緩んでしまいます。
翌23日はヴェルサイユ宮殿へ。旅行参加者の中には、ルイ王朝の栄華の象徴とも言えるこの豪華絢爛な宮殿の訪問を一番楽しみにしている人もいました。ところがここでちょっとした事件が!!!
映画「マリー・アントワネット」のヒットもあってか、宮殿はこれまで見たことがないほどの大賑わいでした。人混みに押されながら宮殿内を進むと、そこにもうひとつこれまで見たことのない光景が現れました。ピンクの風船(本当は金属)で作った大きな犬です。初めて見る人にとっては、訳の分からない代物でしょう。
さらに進むと 、ペットのチンパンジー”バブルス”を抱いたマイケル・ジャクソンの陶製の像が現れて(実はたいへん有名な作品です)、その後も天井から吊るされたロブスターや、巨大な風船など奇妙なオブジェが16点展示されていました。
これらの作品はすべてアメリカの現代芸術作家ジェフ・クーンズによるものです。ベルサイユ宮殿を楽しみにしていた同行者は、当然のことながら拒否反応、「何これ!?気分ぶち壊し!」 お怒りごもっとも。でも、これがフランス、これがパリなのです。
フランスでもこの展覧会の開催は、賛成と反対、真っ二つに分かれて大論争になりました。それは、かつてのエッフェル塔や、ポンピドーセンターやルーブル美術館のピラミッドができたときの現象に良く似ています。結局はやってしまうのです、12月4日まで。
その後は宮殿の広大な庭園を散策し、少々マリー・アントワネット気分に浸った後パリに戻り、夜は眠たい目をこすりながらリドのレヴューに出かけて、もうひとつのパリを鑑賞しました。
そしてついに旅行の最終日。朝から大忙しです。
ルーブル美術館~ノートルダム寺院~オランジュリー美術館~ポンピドーセンターを回り、夜9時からレ・アル地区(旧パリ中央市場)の肉屋が経営するレストランにおいて、特大のステーキと極上のワインで最後の夜を楽しみました。
あっという間の2週間、毎回心に浮かぶ感想です。
日本に帰る飛行機の中で、麻生政権の誕生を知りました。
おまけの写真 ; ルーヴル美術館にはセルフサービスのレストランがありまして、ここで昼食をとるのが恒例になっています。 料理は国別に分かれていて、今回僕が選んだのはアラブ料理の”クスクス・メルゲス”です。
細かい粒上のパスタの上に、羊の肉が詰まったメルゲスというソーセージをのせて、ひよこ豆や大根を煮たスープをかけます。横にはアリサという結構強い香辛料がのせられています。パリには昔クスクス専門の学生食堂があり(今もあるかな?)、アラブ人学生に混じってずいぶん通いました。
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9月15日夜、日本から飛行機を乗り継いで、コート・ダジュールの中心都市ニース着。
翌16日朝、7人乗りのレンタカーにびっしりと乗り込んだ僕たちは、最初の目的地サン・ポールの村へ向かいました。
青く晴れ渡った空と紺碧の海に見とれながら運転していると、目の前にアンティーブの城砦が見えてきて、サン・ポールへの分岐点をはるか通り過ごしたことに気がつきUターン、その後もあちこちと迷路のような細道に何度も迷い込み、一同の信用を失いつつも何とか村のはずれにあるマーグ財団美術館へたどり着きました。
この美術館は、パリで活躍した画商エーメ・マーグ夫妻が設立したもので、現代美術の宝庫と言っても良いほど充実した作品群が収められています。 ジャコメッティーやミロ、シャガールなどは建物の設計時にも関わっていますが、同じように協力していながら注目度が低いと思われるのはジョルジュ・ブラック(Georges Braque)です。
ブラックは、ピカソと共にキュビズムを創始したと言われているものの、ピカソの存在があまりに大きかったためにその陰に隠れてしまった感があります。しかし西洋美術史の中では、コラージュやパピエ・コレの創案者としても有名であり、セザンヌを現代芸術に繋げる稀有な役割を果たしたことでも知られています。
マーグ財団美術館でブラックは、礼拝堂のステンドグラスを制作するという最も重要な役割をまかされています。なぜこれが重要かと言うと、もともとこの計画はマーグ夫妻が1953年に幼くして亡くした彼らの息子のために礼拝堂を建てようという考えからスタートしているからです。言わば、美術館は礼拝堂に付属して作られたものだということです。
そのステンドグラスは、「Oiseau blanc et mauve(白い鳥と葵)」というタイトルで1962年に制作されています。ほとんど紫一色でデザインされたステンドグラスは、深い悲しみを湛えているかのような淡く静かな光を礼拝堂の中に満たしています。このステンドグラスの前に初めて立ったマーグ夫妻の心境はどのようなものだったでしょうか?
その翌年ブラックは、マーグ財団美術館の開館を待たずしてパリで亡くなりました。ブラックの墓は、礼拝堂のステンドグラスによく似た白い鳥で飾られています。
さてそれから僕たちは、同じ日にマチスのロぜール礼拝堂を訪ね、 次の日アンティーブの朝市とピカソ美術館を巡り歩き、映画「パフューム」で有名になったグラスの町の香水工場を見学し、さらに次の日モナコからマントンへ行ってジャン・コクトー美術館を垣間見て、最終日は車を返却してニース市内を電車とバスで乗り継ぎ、近現代美術館とマチス美術館、シャガール美術館を梯子し、翌20日やはり晴天の朝、空路パリへと向かうのでありました。
おまけの写真 ; ニース旧市街の朝市で見つけたもの。プロヴァンスの小さな工房で作っている陶製の塩コショウ入れのセットです。目と口が穴になっていて、背中には手描きでハーブの絵が描かれています。何種類かある色から好きなものを二つ選んで組み合わせ、1セット10ユーロ(1600円くらい)でした。

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ボザール・デザインビューローは
モンゴルにマツの植樹を行うことで
地球温暖化防止に貢献しています